PLAYER #05 ——
杉浦 和美
Kazumi Sugiura

HOLE 05
波乱のゴルフ人生
プロへの挑戦と挫折。そして見つけた「教える」道。
葉子:ゴルフとの出会いはいつだったんですか?
杉浦:最初は父に勧められたんですけど、すぐにやめちゃって(笑)。本格的にハマったのは、25歳のときにハワイへ行ってからです。
お金を貯めて学生ビザを取り、単身ハワイへ。現地で知人に誘われ、久しぶりにクラブを握ることになった。
杉浦:安いセットを買って練習場へ行ったんです。『少しは打てるよ』なんて見栄を張ったのに、チョロン、チョロンと全然当たらなくて(笑)。悔しくて泣きましたね。
でも、コースに出始めると一気に楽しくなって。ソフトボール経験のおかげで飛距離だけは出たので、気づけば2日に1回はラウンドするようになっていました。
帰国後、知人から「プロを目指してみないか」と声をかけられる。紹介された師匠のもとで練習を重ねるうち、本気でプロの道を志すように。反対する両親を説得し、研修生として三重県のゴルフ場へ飛び込んだ。
杉浦:最初は『社内コンペで100を切ったら予選会に出す』と言われていたのに、105とか106も叩いちゃって(笑)。
葉子:えっ、 そこからのスタートだったんですか?
杉浦:そう(笑)。でも無我夢中でゴルフ漬けの日々を送るうちに、100が切れ、90が切れ、80台も出せるようになっていきました。
さらなる上達を求めて、名古屋へと拠点を移す。
男子プロたちに交じり、左手片手打ちやハーフスイングなど、徹底的に基礎を仕込まれた。この修業時代に叩き込まれたノウハウが、今も指導の大きな根幹となっている。

いよいよプロテスト挑戦も見えてきた29歳のとき、試練が襲いかかる。
悪性リンパ腫の発覚だった。
杉浦:抗がん剤治療で髪が抜けてしまったので、ウィッグをかぶってコースへ通いました。執念で予選会にも出たんですが、体力が到底追いつかなくて……。
一時は寛解したものの、無情にも再発。30歳で故郷・静岡への撤退を余儀なくされた。
杉浦:母からは『もう十分がんばったんだから、諦めて帰っておいで』と言われました。でも、どうしてもゴルフを嫌いになれなかったし、諦めきれなかったんです。
静岡に戻ってからも、ゴルフへの情熱が消えることはなかった。体調と相談しながらアマチュア競技で実績を重ねた。
そんな折、ゴルフショップで働き始めたことが思わぬ転機となる。
杉浦:『明日初めてコースへ行くんだ』という初心者のお客さまが来店されて。店長から『かずみちゃん、握り方も分からない方だから、裏のスペースでちょっと教えてあげて』と言われたのが始まりでした。
葉子:そこがレッスンプロとしての原点だったんですね。
杉浦:そうなんです。でも、感覚だけで伝えてもうまく理解してもらえなくて、『もっと分かりやすく教えたい』というもどかしさを感じました。
そんな背中を押したのが、店の店長だった。
杉浦:『ティーチングプロの資格を取れば、自信を持ってお客さまに教えられるよ』と言われて、一念発起したんです。

かつて思い描いていた「ツアープロ」という形とは異なる。けれど、挫折と地道な努力で磨き上げた自身の体験すべてが、悩める誰かのゴルフを支える大きな力へと変わっていった。
親身で分かりやすい指導は評判を呼び、口コミで教え子は徐々に増えていく。現在、杉浦先生はJLPGAティーチングプロA級として、数々のアマチュアゴルファーに寄り添い続けている。
そんな杉浦先生が日々のレッスンで大切にしていることは何だろうか。
(つづく)





